しかし・・雨だったせいか映画の日なのに観客は私含めて3人ですよ(T▽T;)
私が思っていたような感じの流れではなく、やはり現実・・と思わせる映画だった。
なにより見ていた人は私も含め、こんな人生は絶対いや ! と思う人生だった。
そう思わせるのがこの映画のねらいだったのかなとも思う。
ただ不幸な人生ではない、不幸な人生を選択して生きてきた人とも思える。
それが19世紀という時代もあってか、十分な教育も受けていなかったこともあってか
アルバート氏は仕事はそつなくこなせるが、中身は14歳のままで人として成長する機会を自分に与えることはしてこなかったのだ。
なので、人間として自分らしく生きるヒューバットとの出会いはさぞ衝撃的だったかと思う。
たとえ女性なのに男性としていつわって生きてこなくても、世の中には本当の自分をいつわって人生を過ごしている人はいくらでもいる。
いつわって生きてきた代償が人との関わりを持たずに、孤独であるということ。
本当の自分で人と関わる楽しさを知らずに人生の大部分を過ごしてしまうこと。
お金はたまったかもしれないが、自分にとって大切な何かを削りとってしまった。
ヘレンに声をかけたのはアルバートにとっては清水の舞台から飛び降りるほどの勇気であったとは思う。
スピリチュアルな解釈になるとこの人が生まれ変わったら、そこからスタートできるだろうと思う。
もっと自分に正直に生きていきたかったという思いから。
一方でこの映画は『性』とは何かを考えさせられる。ちょうどひな祭りで女の子の節句だけど。
女性に生まれながら、女性ではいられない。
ヒューバットのような立場は今だと普通のレズビアンカップルである。
アルバートはあきらかにヘレンのことを好きであったとは思えない感じに受け取る。
ただの理想でしかない。
自分が女性なのに、どうして女性に受け入られると思うのか。
人間としてハートを開き、人を愛する・・・それが生きることの一番のテーマかもしれない。
生きることが生活をなりたたせることと理解している人も多いかもしれないが、生きることはそれだけではないということもこの映画から伝わる。
そんな意味ではいい気分で終われる映画ではないが、いろいろなことを考えさせてくれる映画だ。
しばらく何年も映画を映画館でみるのを年に1、2回ぐらいしかなかったけど、1月にも「危険なメソッド」を見に行き、自分にしてはまたも映画館に通う頻度が増してきているように思う。
それで思うのはDVDもかなりみるけれど、映画館でみる場合はその世界へのはまり方がまったく違うなあとあらためて感じる。その時間だけその世界を生きることができる。
今月ほかにもみたい映画があるので、また行くかも。
頑張ってほしいね、ソレイユさん。