アニメーションの「赤毛のアン」が毎週月曜日にBSプレミアムで18時30分より再放送されている。
いま2話まで。本日第3話。
改めて見ると、この冒頭の話は非常にクオリティーが高い。
子供のときは30分でえーーこんだけーというくらい話が進まないのに驚いたものだが、
この30分で描く内容の丁寧さは大人になるとわかる。
「赤毛のアン」はなぜか男性のファンも多い。
少女小説として出ているのだけれど、物語を読むと、アンの視点で書かれている話ではない。
大人であるマリラやマシュウ、リンド夫人などの登場人物の心情を非常に客観的に書かれてあり、その客観性が男性でも読みやすいものにしているように思う。
そしてモンゴメリは自然に対する描写も細かく、その情景が思い浮かべられるような表現で書かれてあるのも内的なイメージをひろげることに役立っている。
アニメのアンの話を原作で確認すると面白い。
これから一話ずつ見直していくと面白いかもと思った。
英語の本はずっと手元にありながら、いまだ英語で読めたためしのない本(笑)
『クロッカスやばらや、透きとおるような、草の緑が、この世のものとも思われぬ影をおとしている上に何とも名のつけようのない、とりどりの色が消えたり、あらわれたりしていた。橋の上手は森になっており、池のふちに生い茂っている樅や楓などが、ゆれる水面にうっそうとした半透明の影をおとしていた。ところどころ野生のすももが岸からのりだしている様子は、爪先立てて水にうつった自分の姿をながめる白衣の少女を思わせた。』
すももの花と樹木の様子が白衣の少女が爪先立てて自分の姿をながめている様子のようにみえるという表現を考えつくだろうか
「この世のものとも思われぬ影をおとしている」というのも不思議な表現。
英語では『the most spiritual shadings of crocus and rose and ethereal green』となっている。
また、グリーンゲーブルズが見えてきて、アンが「私に当てさせて」という場面では夕暮れ時の表現をこう書かれている。
『しばらく前に日は沈んだが、なごやかな夕あかりの中にあたり一帯がひと目で見張らせた。西のほうには黒ずんだ教会の尖塔が、きんせん花色の空にそびえてた。』
きんせん花色の空
英語では marigold sky
マリーゴールドを空の色にたとえたことなどないけれど、すぐにオレンジ色の空を思い浮かべられる。村岡花子は「きんせん花色」と訳した。
『そのうえの晴れ渡った西南の空には、大きな水晶にも似た白い星が道案内のように、そして幸福の約束のように輝いていた。』
と文章は締めくくられている。
ランプオブガイダンス&プロミスと英語のほうはなっていたので、幸福のはないのだけれど、ここでのプロミスはグリーンゲーブルズはここだということを示す表現でなければいけないので、そのように訳されたのだろう。
ある意味独特の自然描写を日本語に訳するのは難しかったかもしれない。
スピリチュアルなんて言葉も日本語では難しいので、昔のことだし、この世のものと思われぬなんて訳すしかなかったかも。
爪先だてて自分の姿を眺めようとしている女の子をすももの姿にたとえているのはアニメの中ではアンのセリフとして登場する。
高畑監督は原作に忠実にアニメ制作をされていたが、この独特の自然描写をどう表現するのかいろいろ考えたことだろう。
それを素晴らしい音楽と美術でカバーした。
またアニメの話にあわせて素敵な表現があれば紹介しようかなと思う。