「インターステラー」をようやく見に行く。
素晴らしかった・・。
まだ見ていない方はぜひ、見に行くことをお勧めする。
実は私は高校のとき理系クラスにいて、
化学はまあまあできてたけど、もともと理系の頭ではないので
数?と物理の授業ははっきりいって、最初から最後までさっぱり理解できなかった( ̄ー ̄;
なので、この映画の理論はわからんことも多々あるものの
なんとか立方体がなんで五次元にあるのかとか(゚ー゚;
どんなラストになるのかがわからなかったので、3時間ひっぱってぐいぐい見られた。
後から考えると人類の未来のための話なのに
なんでこんな少人数で、なんでアメリカ人のみなのかなどあるけれど
この映画で伝えたいことはそんなことではないのだ。
インナーステラーは「星から星へ」と受け継がれることをあらわす。
この映画の中にあるセリフで重要なキーワードでもある
「橋渡しをする」(英語ではなんだったのかな)
という言葉は
私が今年よく考えたことでもある。
自分の代でなんとかなるものではない、子どもたちやその未来の子どもたちのために
必要なのは自分が橋渡しとなることだ。
それはこの映画ではまるで自己犠牲のようにうつるだろう。
魚座的な人類の未来のために個人を犠牲にしているとも。
しかし、それが個人の一番やりたいことであり、やるべき役割であることもある。
映画は未来の話だが、
フィールドオブドリームズに出てくる家みたいに
とうもろこし畑に囲まれた古い家なので、未来の話とは思えない。
しかし、異常な自然現象が現実としてある。
宇宙やブラックホールのシーンも素晴らしい。
SFを作る人ほど、可能性というものに目を開いているので、
いろんな可能性や希望を感じさせてくれる。
そのために必要なことは行動するための動機だ。
何かを守りたいから
地球の未来をよいものにしたいから
利己主義ではない。
「愛」がなくては可能性のために行動はできないのだ。
主人公たちが宇宙へ可能性のために旅立つときにブランド教授が送った
デュラン・トマスの詩も印象的だ。
ハリウッド的な宇宙SFものではなく、知的で美しい映画だった。