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Around the garden

フラワーエッセンスプラクティショナーによる植物や自然と過ごす日常とエッセイ

梨木香歩「エストニア紀行」

読書日記

エストニア紀行: 森の苔・庭の木漏れ日・海の葦 (新潮文庫)

最近、文庫本化されたこの本を旅行中読もうと持参したものの

結局まるで読めなくて帰って来てから読んだ。

 

エストニアソ連の少し北欧よりの国。

あまり知られていない国だけど、ちょっと調べたら

なんとスカイプを産んだ国らしい。

IT企業も多く進出しているらしい。

 

そんな国でありながら

ヨーロッパで最後にキリスト教が入った国であり、

いまもなお、自然信仰のなごりのある国である。

 

なんとなく惹かれるが、

チェルノブイリからもそう遠くないことを考えると

んんん・・・と思うけど。

 

梨木さんが見てきたエストニアの自然信仰の足跡であったり、

人であったり、森の空気や鳥たちに思いをよせる。

 

不気味なホテルにある不気味な女性の肖像画

「アメリア」という名前をつける梨木さんの素敵さ。

森の中のホテルについて居ても立ってもいられず、

持参した長靴を出して、森を繰り出す気持ちもよくわかる。

 

とくに共感したのは

こういう光景を確かに自分はかつて観た。

数百年変わらないようなエストニアの地方の光景を目にするたび、幾度となくそういう感慨を得た。肉体は現在にあるが、人の精神は、現在にコミットしているのはほんの一部分で、ほんとうは各自、他者の窺い知ることのできない遠い時代と密接に結び付きながら、生きているのだろう。

 

ヨーロッパは100年くらい前と変わらない風景が残り得るところだと思う。

日本では考えられないけど。

そうしたものを目にしたとき、特に時間の感覚がなくなる。

ミッドナイト・イン・パリ」という映画のように簡単に過去の時代に入ってしまいそうなくらい。

痕跡があるというのは、そこにつながるどこでもドアのようなもの。

 

日本でももちろん100年前のものはあるけれど、

戦争や地震など多くの災難があり、

人間が便利なように開拓され、痕跡はわずかしかない。

風景全体が残ることはない。

 

それをヨーロッパはまだ残っているところがあると

実際に旅行に行って思ったものだ。

 

あと、エストニアバルト海に面していて、島が多くあるという。

島は大陸よりもよりいっそう、古い慣習や自然を残していることが多い。

瀬戸内の島でもそんなところがあるからだ。

 

梨木さんが12カ月の風をゼリーにしているという話も素敵だった。

食べてみたいわ。

 

自然の恵みはこころ、たましいを豊かにする。

 

しかし、日本でもエストニアでも放射能によって

その恵みを人間は受け取ることが困難にもなってきた。

実際、受け取るものは「食べる」という以外でもあるのだが。

 

人間が手をつけないことによって、

豊かになっていく自然もある。

 

人が自然とともに暮らすというのは

自然という豊かな地球の恵みをもらうことでなりたっている。

人が自然を作っているのではない。

自然によって人が生かされているのだ。

 

それをもう一度思い起こしながら

暮らすことが大切。

 

日本にいるとそれを忘れそうにもなる。

自然の中に踏み込み過ぎているから。

 

イギリスのキューガーデンでも看板や標識のようなものはなく、

迷ってばかりいたけれど、

日本は人間が便利なように多くのものが自然の中に

ありすぎる。

 

海外に行く度に、日本の風景が一番自然と調和されていない感じがして、

ガクッともなる。

 

だからこそ、ここで何ができるのか考えてしまうのだ。