Around the garden

フラワーエッセンスプラクティショナーによる植物や自然と過ごす日常とエッセイ

BOOK「私たちの星で」

私たちの星で

 

年末年始に読んだ本。

作家の梨木香歩さんと文筆家の師岡カリーマ・エルサムニーとの

往復書簡。

 

往復書簡なんて随分久しぶり。

「魂のガーデニング」という本を持ってて

ガン患者の方とその友人の往復書簡というのがあったけど

お庭や植物の話を毎回、やり取りしているものだった。

 

この本では、はじめて梨木さんのお写真が掲載されている。

とても素敵なお写真で、

想像通りというか、彼女のあたたかさが伝わる。

 

カリーマさんとのお手紙のやり取りでも

細かい気づかいが見られ、梨木さんの水のエレメントの

強さを感じる。

 

それにもおとらず、恐縮しながらもカリーマさんの

文章の鋭さやあたたかさもあり、

さすがに同じ文筆の世界にいるだけに

表現力があるなあと思った。

 

彼女が日本人とエジプト人との間の生まれ育った背景もあり、

梨木さんがずっと書いてきたテーマである

「個と群れ」の話やイスラムの話、旅の話、世界の話と

広がり、その中で生きる私たちの着地どころを

探しているようでもあり。

 

 テーマが大きすぎてついていくのが難しいときもあるけど

何かハートの深いところに届くようなときもある。

 

カリーマさんのあとがきの中に

自分と梨木さんの共通は宗教ではなく、ファンタジーであることを書いている。

そしてそのファンタジーに夢中になったのは

『ファンタジーが持つ、帰属の境界線を溶かす近りの技だったのに違いない』

と書いている。

 

『自分が生きる社会や学校や会社や国になじめなくても孤独を感じている読者の方がいるなら、馴染めなくてもいいのだと開き直り、より広い世界で、より自由に自らの

香歩さんの言葉を借りるなら「個人としての佇まい」を、追求していくきっかけになればこの上ない幸せだ。』とも。

 

水瓶座的な視点だ。

 

山羊座の境界線をもつ世界の中にいるのは

安定というものがあるかもしれないけど

なじめないと孤独である。

そこから出て行かない限りは。

 

水瓶座というのは枠からはみ出し、それぞれを受け入れている。

 

私は誰か?

というのは自分で決めることができるのが人間。

定義する私が決めることができるということに気づくことができれば

それは自由であるといえる。

 

決まった答えを求めがちな世の中だけど、

その答えの決定権をもつのは己しかない。

 

そんなことをいろいろ考えさせられる。

 

世界に目を向けると様々なことがおこっている。

それに対して、いろんな感情もわきおこる。

情報は無数にあり、選択肢もたくさんある。

その中で生きることは

情報を知らない社会の中では

大変のように思えるかもしれないけれど

選択できる自由があることを知るのは

それしか選択できない不自由さから大きく変わる。

 

だから、そこから自分の選択するための力を見失わずにいたい。

 

この中に出てくる映画「あなたを抱きしめる日まで」という映画見てみたい。

カトリックの戒律をやぶって出産した少女は

赤ん坊をとりあげられ、その行方は教えてもらえない。

それを修道女に聞くけど、戒律をやぶったものへの罰として

決して教えてもらえないという。

それでは宗教というのは何なのかといろいろ思う。

その中で私はきついのに守ったけど、おまえは守らなかったという

感情があるとお二人は対話する。

 

実は世の中にはそうした感情が案外あるのではないか。

ブラック企業の多い日本ではとくにそうかも。

残業するのが当たり前とか

CMでも風邪でも休めないあなたにとかやってるし。

 

個であることを許さない山羊座的な枠の強さ。

 

読みつつも言葉にならないいろんな感情がわいてくる。

でもその中で希望を見出し、よりよい生き方を求めるお二人の

強くあろうとするところと反発するということなく寄り添う部分も

もちながらというところにも共感する。

 

そんな一冊ではないかと思う。