ようやく図書館で借りた「八日目の蝉」を読んだ。
映画とはやはりすこーーし違うね。
最初に映画を見たインパクトが強いせいか、物語のほうは淡々と読んだ。
映画でもよくわからなかったけど、なんで誘拐ができたのかというところが小説でわかったけど。
赤ちゃんを置いて家の鍵かけずに出かける母親っているんかなあ・・。
あまりありえない設定なのでおどろき。
薫が実の母との暮らしについての部分では、ここでも食事を作らない母親がでてくる。
ごはんを作るというのは母性の象徴かな。
幼少の頃過ごした場所へ戻るっていい経験であれば、ある意味自分のインナーチャイルドを満足させることにもなるかな。
私は自分が住んでいる土地以外で住んだ経験がないのでわからないけど。
ただ、しばらく海外旅行とか行ってて、帰ってきたときにうわーっと思うことはある。
この山の感じとか湿った空気など覚えているなじみのある感覚に戻っていくとき。
10月に福岡で月をテーマにしたフラワーエッセンスのワークショップを予定してるのだけど、
月というのは自分にとっての快・不快やなじみのあるものをあらわす。
それはほとんどが7歳までの経験からくる。
その感覚は大人になってからはなかなか変えられないもので、無意識の中で感じている。
それは7歳までじゃなくてももっとスピな感覚で、過去生とかでなじみのある場所へ戻ったり、その感覚を味わったりしても自分の魂は覚えていて、何かを呼び覚まされることもあるかも。
ところで小説のほうはエンジェルホームのところが非常に丁寧に書かれていた。
奈良にあるという設定がそれっぽい。
現実感のあるようなないような話だったけど、映画はもう一回みたいな。