TEDという様々な人たちがスピーチをおこなうカンファレンスを日本語で見ることができるとはつい最近まで知らなかった。NHKではスーパープレゼンテーションという番組でやってはいるけど。
短い時間の間に伝えたいことを大勢の聞き手たちの前で話すことで、社会を動かす可能性もある。
見ていて思うのは、こうして雄弁にスピーチをする人たちは最近話す練習をはじめたわけではなく、もともと話すことにも慣れているような気がする。そういう機会が欧米では教育の中にも十分にあるのではないだろうか。
日本人はそれに比べて、明確に伝わるように人に話すことはちょっと劣るようなところはあるかも。
そういう場が少ないというのがある。
しゃべらなくても学校では一日過ごすことができるし、自分の意見を言わなくてもまわりが汲み取るのが上手だし。また、そうして上手に話すところを実際聞くことももしかしたら少ないかもしれない。
もともと日本人は言霊を大切にしてきたこともあり、言葉には力があったはずだけど、いつからかそうでもなく、田舎ほど汚い言葉やネガティブな言葉ばかり聞かされることも多い。
自分の育った環境は言語の使い方・伝え方に大きく影響している。
関西は笑いの文化で、基本的にまわりが全部そうだから、一般人でもボケ・ツッコミが可能である。
また、話をするのにもツカミとオチは重要だったりする。
一番そうした相手とのコミュニケーション能力が高い地域ではあるのではないかと思う。
TEDでのスピーチではユーモアある話をする人はユーモアによって、聞き手のこころを開き、コミュニケーションが伝わりやすい状態になる。しかし、話しているのも聞いているのも欧米人なので、アメリカンジョーク的なものが多い。
これが日本人ばかりだとユーモアの方向性は違うんだろなと思った。
間の取りかたも違うし。
冒険家とかアスリートのように過酷な経験をした人の話はまったくジョークなしでも話を聞きたいという姿勢をつくることができる。リアルな体験に基づく話だから。
だが、わりと地味なテーマの中でいかに聞き手に興味を持ってもらうかは話をする人の個性を出せるようリラックスして、場のエネルギーにあわせつつ、コミュニケーションをとれるよう場をつくることかもしれない。
それにはどうすればよいのか。
書くことと同じで、話すことは慣れるしかない。何度も緊張しないように話す機会をたくさん作ること。
いい文章を書くようにするためにはいい文章をひたすら読まないといけないのと同じで、いいスピーチをたくさん聞くこともいいと思う。
個人的な話だけど、私は小学校のとき3分間スピーチは3分間しゃべらないでパスした。
高校のときは弁論大会に出る人を決めるため、作文を全員提出しなくてはいけなくて、それを出したら、
私のが選ばれてしまって、担任に交渉して、降ろさせてもらった。
とにかく人前でスピーチというのはもっともありえないことだった。
TEDの中のいろんなスピーカーが話している様子を見ていると、こういうのをたくさん子供のときに見ていたらちょっと違ったかしらね・・と思うこともあり。まわりの人間でも話上手な大人は少なかったかな。
人前で話をするのにサポートしてくれそうなフラワーエッセンスがある。
トランペットヴァイン。そういえばこれを使ってから講座とかやったことはないので、今度試してみよう。