ようやく借りれた「サンカーラ」を読んだ。
その前に先日、「エヴァンゲリオン・新劇場版Q」の「3.33」だっけ。(タイトルがなんかややこしいんだわ)
を見た。
『庵野は血を流しながら映画を作っている』
というのは宮崎駿の言葉。
庵野秀明という人を理解できる人がいるのだろうか・・・・。
サンカーラを読んで、ふとランディさんの昔のエッセイってすごく面白かったなあと思いながら、自分が持っている本を開けるとそこに庵野さんとランディさんが4時間にわたって対談をしたことが書かれてあった。
そこ書かれてたのはランディさんと庵野さんには4時間も対談しておいて、ほとんど共通点が見いだせなかったというのだ。
わかるような気がする。そこがある意味、ランディさんが庵野さんに異質な人としての興味を抱かせるところかも。
「3.33」のような作品を連続ものの映画で作れるのは幸せかもしれない。
普通はこのようなのは企画が通らないだろう。
エヴァ人気のためだ。
庵野さんって私よりもちょっと年下ではあるけど、私と誕生日が1日違いで、太陽のサビアンがほぼ同じようなところにあるんですよね。世代的には水瓶座世代そのもので、あまり本人のことはよくわからないけど、人にあわせようとはなかなかしないけど、人には気をすごく使ってるような感じ。
ランディさんとの対話の中で一度もランディさんに対して質問をすることがなかったというのがすごかった。対談なのに。
「3.33」を見ると、自虐的なこわさを感じる。こわいけど、今の若い人にはけっこうある部分かもと思ったり。
何か究極な感じがした。内容はあまりよくわからないまま、物語は進行していき、例のごとく「つづく」で終わるのだけど(笑)
「サンカーラ」の中に書かれてあるのは原発や震災、その周辺のこととランディさんの個人的経験が中心だった。
なんかわからないけど、見なければならないものという意味では庵野さんという存在はそれを突き付けているような気がする。もちろん作品をとおして。
「サンカーラ」は本としては期待していたような感じ(評判がすごくよくて、発売当初品薄だった)ではなく、前に書かれた「パピヨン」のような読み始めたら止まらなくなるようなものでもなかった。そんなこともあり、年齢的なものがあるのかなあと昔のエッセイを取り出したのだ。
【ダイアローグ(対話)】の章は共感できた。
常にあちらが悪い、どちらが悪者かという見方でいることは何も生み出さない。
偏見だけが強くなる。
西洋医学派と代替医療派みたいなものがあるのもおかしな話だ。
ところが代替医療(ヒーリングやホメオパシー、エネルギー療法など)反対のコミュのようなものまで存在する。徹底的にそうした分野の人たちをネット上でも叩く。コミュの中でも私はこんなにひどい目にあったという経験を書いたりしている。
代替医療や補完医療そのものが悪いわけではなく、いろんな人たちがおこなっているわけだから、そうしたほかの人たちとの対話や他のところでの体験もした上で考えてほしい。
原発そのものは反対だが、そこに関わる人間すべてが悪になるのもおかしい。
日本ではかなり精神的な大きな出来事であったオウムのサリン事件でも、オウムのやり方はおかしいが、そこに入信した人すべてが悪魔というわけではない。
人間の思考がどちらをとっても偏りがあり、宗教の対立のようなものになっていてはやはりおかしい。
そこの部分をランディさんは原発推進派の学者さんと対話を重ねる。
また、そうした対話も本当は難しい。
偏りのある人たちから多くは「おまえは賛成なのか?」と叩かれるから。
異なるものを受け入れるということは容易ではない。
受け入れる必要はないだろうが、冷静に話を聞くということも難易度が高いだろう。
ただ、相手は人間だ。
理解はできないだろうが、人間としての相手を尊重することができればベストかなと思う。
人間としての相手を知ると関係性ができる。
関係性をとおして、話を聞くと意外と聞く耳ができてくるものだ。
庵野さんのあまりの理解できなさな世界に驚きつつ、自分と誕生日が1つ違いというところで、生きにくさがそんな風に表現されたのかと共感する部分もあり、対話の試みは意味があると思っている。
思想の対立ではなく、人間としての心の対話を重視したい。
きっとどちらも傷ついているはずだから。
後で、エヴァの3.33のいろんな人のレヴューを読んでたら「この観客の放置感、置いてけぼり感が、エヴァだ」と昔からのファンの人のコメントがいくつかあって、興味深かった。
庵野さんという個人的な世界観、わからなさにどういうわけかみんな惹かれているわけだ(笑)