Around the garden

フラワーエッセンスプラクティショナーによる植物や自然と過ごす日常とエッセイ

3年日記の効用


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3年日記をつけ始めて、今年で3年目。

こういう連用の日記ははじめてでしたが、それを始めたのが2011年からだったというのも不思議なもの。

実は今年はなんだかやたらといろんなところから、3年でだいたい何かが達成できるかどうかわかるみたいなことをよく聞く。

山田オリーブ園の山田さんに話を聞きに行ったときに、山田さんが農業をやりたいけど、奥さんを説得させるのに3年かかり、3年で物にならなかったら農業をやめるという約束でオリーブ農家を始めたそう。

だから、その先もこれから3年かけてこういうことがやりたいという目標があるようだった。

つい先日も別のところでだいたい物になるには3年かかるという話を聞いた。

長期計画というのは今までにも何度かしてきたつもりだったが、どうも何かが間違っていたのか、

5年なら5年計画たてても、それを書いて5年後にその内容の紙はどこかへいってるし、書いたことすらも忘れるありさま。3年も忘れるな。

そんな意味でこの3年日記というのは手元に3年間持ち続けるため、3年のスパンでの見直しがやりやすい。

そこで初めて気づくのだけど、今まで1年ごとの目標はあったものの、どうもうまくいかないところがあった。よく考えるとそれは1か月で10kgやせるとかいうほど無謀ではないけど、2か月で10kgやせるというぐらいちょっと目標が厳しすぎる傾向にあったなと思った。

つまり、1年後の目標は、本当は3年かけて達成していくぐらいのペースが必要だったのだ。

最近の本ではなんでもすぐにでも変化するかのような書かれ方をしているため、早くそこに達しないといけないみたいな感じがあったのかもしれない。

計画のたて方にそもそも無理があったみたい。

そして3年日記は一日あたり記入するスペースが少ない。そこに自分の感じていることやいろいろ書こうとすると当然スペースが足りない。そこでデジタル日記をつけはじめた。

このあいだ、ノート・記録術の本を立ち読みしていたら、ライフログと手帳と日記の違いを書いているページがあった。

ライフログはおこった出来事や事実のみを記録するもので日記は普通に感じたことや思ったことを記入するという。

そういえば私は3年日記をライフログとして記入していた。まあ、人に見られてもそうたいしたことがない内容。体調の記録が一番多いけど、あと地震がどこでおこったとか大きな事件、月の暦、読んだ本、おこなったこと、みた映画など。

印象的な夢をみたら簡単になんとかの夢と書いておけば、デジタル日記のほうで詳しく書いて、日付がわかるから見出しのようなものにもなる。

手帳のほうにライフログを書く人もいるけど、予定とごっちゃになるのでちょっと難しいかな。

デジタル日記はパスワード付なので見られることは基本ない。

3年日記の3年目になると同じ時期に去年やおととしはこんなことがあったんやーとかいろいろ思うところがある。震災の年から始めたので、この3年は心身ともにバランスを取りながら、次への基盤を作るような期間だったように思う。

また来年から3年間かけて、今度はしっかり計画をたてて、取り組んでいきたいなあ。


何事も道則というのは長い期間で取り組んでいく必要がある。

1年で達成できるものもあるし、成長もあると思うけど、

バーバラ・アン・ブレナンの「癒しの光」の中でバーバラが6年を自己のトランスフォーメーションに費やしたことが書かれていて、最初の2年で神聖の意志に集中し、次の2年で神聖な愛に集中し、その次の2年で神聖な真実に集中したというくだりを昔読んで、6年もかかるのか・・と思いつつ、その6年も自分には何もなく過ぎることもあり、区切りながらも集中して取り組む必要があるし、強い意志の力も必要なのだ。

自分が何をやっていきたいのかを明確にしていないと、ただ日常に流され、やることに追われるだけで、急速に時間は過ぎていくもの。年とともにそれはやたらと早くなる。

というので、この年齢になってようやく計画的に何かを達成していくことをしっかりやらねば。

昔はFESの認定をとるぞ、いつまでにとかライフスクールでのフラワーエッセンス療法過程に在籍していたときも、いつまでにだいたいレポートをすべて提出するぞという目標が明確にあって、やっていたところがあって、学ぶのは楽しいし、いいのだけれど、学ぶことが目標になっていると、それをどうやって自分の中で社会で役立つ形で発展させていくのかということが難しくもある。

その学んだことをどういかしていくのか、どう表現していくのか、どんなことを達成させていきたいのかまだまだ先はあるのだよね・・。