写真は子供のときから家にある兄の持ってた学研の「宇宙旅行」という図鑑。
昭和46年発行。
この本は幼少のときに何度も見ていたのだが、このページにあるかぐや姫が月に帰っていく絵を見ながら、月というものを想像していた。
この本にはこう書いてある。
『日本のいちばん古い小説は1000年ほどむかしに書かれた竹取物語だといわれています。ごぞんじの「かぐやひめ」のお話です。月に帰る「かぐやひめ」のお話は、宇宙旅行の話だといえないこともありません。日本には、このほかに、宇宙旅行の空想物語はありません。』
と。
そう「竹取物語」は日本で最初に本となっている物語。その前は「古事記」や「万葉集」だった。
ある意味不思議だ。最初に本になった物語の主人公は地球の人間ではないのだから。
非常に神秘的な物語といってもいい。
そして日本人なら誰もが知っているこの物語をいま、アニメ化しようなどと誰が思うのか・・。
そう思いながらも、ずっとアニメを見てきた高畑監督が8年がかりで作ったこの作品は見に行かねばならない。前情報も少ないのだけど、ほとんど前情報は必要なかった。
もし読んでおくとよいのは高畑監督が公式サイトに書いていたコメント だ。
映画は2時間30分あった。そして原作通りの物語だった。
それがまず驚きだ。
物語がまったく原作から離れることなく、いろんなものが詰め込まれていたのだから。
そして、物語の神秘性はそのままにあった。それも驚きだ。
まったく長い映画だとは思わず、物語の中に引き込まれた。
そしてかぐや姫という女性を自分の中の女性と月の部分と重ねてみていた。
高畑監督は女性の心理やこころを表現するのがうまい。女性かと思うほど。
その中でもこの作品は一番「女性的」だった。
普通男性がつくるアニメ作品の女性は峰不二子みたいな感じかかわいい少女風か力強い豪快な女性かみたいなイメージだが、高畑監督の描く女性は現代に生きる普通の女性だ。
なので、女性にはぜひ見てほしい作品かも。
もちろんレビューをみると全然よくないという人もいるので、面白くないと思う人もいると思う。
それはアニメとして楽しいものを連想してたらそうだと思う。
これは芸術作品であり、映画だとして見ると、感じるものがとてもあり、見終わった後にいろんな感情が動いていることに気づくこともあると思う。
映画は感じるものだから。
私は本当にいい仕事をしてくれたと思うし、すごい作品だなと思った。
さて、以下はネタばれありなので、見た人だけ読んでください。
★登場シーン
まず最初の部分は非常に丁寧に描いている。
かぐや姫を翁が見つけるシーンは面白い。
たけのこがぐんぐん伸びて、そこからパカッと小さなお姫様が生まれる。
ものすごーくかわいい
それがだんだん人間の赤ちゃんへと変わるのだ。
お乳が必要だからおばあさんがもらいにいこうとすると、自分がお乳が出るようになる。
そういう現実的な部分もしっかり描く。
★タッチ
初試みとなる鉛筆で書き上げ、水彩画風な感じで、書き込みをしない、色をみっちり塗らないという手法をかなり手間をかけておこなった。
その絵はうまいのかへたなのかわからないようなところもあったけれど、結果ベタなセルアニメよりもリアル感があり、かぐや姫が近藤ようこの漫画のようとツイッターかなんかで書かれていたけど、まさに青年漫画のよう。だからこそ、なまめかしい感じがある、人間くさいというか。
セルアニメだとやはり現実とは別のものという見方になるけど、タッチが青年漫画風だとリアル感が増すのだ。だからこそ、情愛のような部分はリアルなのだ。
まあ、昔作ったアニメやアジアのアニメのようとか思うような感覚もあるけれど、不思議な感じがする。
★高畑演出
日本のアニメーション界は宮崎駿ではなく、高畑監督を見習っていくといいかもしれないと思った。
宮崎作品はオリジナリティがすごく、もちろん天才的なものがある。それをまねた作品は作ることは無理だと思う。
しかし、高畑監督の作品は原作通りに作っても、どう演出するかということでアニメ作品として見ることができるということを証明してきた。
高畑さんの演出の特徴はリアルに丁寧に描くのだけど、登場人物の内面をあらわすために、アニメにしかできない非現実的な場面が必ず出てくる。
かぐや姫の場合は、怒りにまかせて外を走るシーンと捨丸にいちゃんと空を飛ぶシーン。
どちらも大切な場面だ。彼女の内的な世界を表現するためにアニメじゃないとできないことをやる。
ハイジではヤギが踊る、アンではりんごの花びらといっしょに空を飛んでいくなど。
何度もそういうのを見てきた私はなつかしく、なじんだものにまた触れたような思いがある。
他にもかぐや姫の内面がいろいろ動いていることをあらわす細かい演出がされていて、本当にうまいなあと思った。
★物語と音楽
物語の進め方もじつはかなり計算され、丁寧に作られている。安定感がある。
久石さんの音楽が非常に目立たない。それも驚きだった。
あとで久石さんと高畑監督の対談を読んでいろいろ納得。
音楽で感情を表現するということはしないのだ。
面白いのは高畑監督が作ったわらべうた。この歌がものすごく重要だが、聴いているほうもとても惹かれる歌だった。素朴で飾り気がなく、かぐや姫そのものなのかもしれない。
そして月からのお迎えの曲がまたすごい。ディズニーのパレードのようと言われたりしてるけど、
不浄のない音楽ってこういうものなのかも。
★不浄なものと清浄なもの
ここでの不浄なものというのは大地に近い感覚のものだったり、人間的なものだったりする。
竹取物語は神秘的なお話だけど、人間はもともと天界の人で、地上で経験し、向こうの世界に帰っていくものなのだという話のようにも思える。不浄を経験し、天界の人になる。
大きくて深いテーマだ。かぐや姫が天界の人にすっと切り替わるシーンは衝撃的だった。
★女性というサイクル
月は女性のサイクルと深くかかわる。天界の人だったかぐや姫も人間として生まれたら、生理もやってきた(アニメでは。これも日本では不浄なものだろう。))高畑監督は女性としてのかぐや姫を描いた。
こちらの方のブログ記事がそれを見事に表現されていた。
昔の人なら普通に身分のある方と結ばれることが女性としての幸せだったろうけど、かぐや姫は現代の女性にほぼ近い。自分がいつわりなく、生きることすら思うことがあまりなかった昔。
現代の日本女性たちがただ親の言われるままの道を歩むことなく、自分らしく歩くとはどういうことか。
一度は自然から切り離されてしまったかぐや姫だが、自然とつながり生きることが一番のしあわせだったのかなと思う。
高畑監督は「太陽の王子、ホルスの大冒険」という映画でデビューしたが、太陽ではじまり、月で終わるのかもと思うとすごいなあ。
そういえばバリ島ではお寺などは生理中の女性は入れないことになっているので、アジアではけっこう生理は不浄なものとされているのかしらね。
その不浄を経験するからこそ、子供が産めるんだけどねえ。しかも月の影響を受けながら。
女性とはこういうものだという子供向けのアニメもあるが、これは今を生きる女性に対して、
「あなたが女性として生きるというのはどういうことですか」を問う映画にもなっているかなと思った。