Around the garden

フラワーエッセンスプラクティショナーによる植物や自然と過ごす日常とエッセイ

ドラマ・ニューアムステルダム

ニュー・アムステルダム 医師たちのカルテ DVD-BOX

 

アメリカドラマの「ニューアムステルダム」シーズン2までみた。

アメリカの医療ドラマってERとかシカゴメッド、グッドドクターなどいろいろあるけど、ERのようなところが舞台になっている話が面白いのは

緊急時の緊迫した感じだけではなく、アメリカの社会問題が多く出てくるからだと思う。

基本アメリカは医療費が高額なので貧困層は医療にあまりかかれない。

 

だからERが舞台の話にはそれらの貧困層の中の問題が必ず出てくるのだ。

 

このニューアムステルダムはニューヨークの公立病院で、アメリカでもっとも古いらしいが、実在する病院の実話をもとにしているという。

アメリカの公立病院は医療費が無料だそう。

この話の中にかなりたくさんの社会問題が出てきて主人公の医療ディレクター自身がガンであることや奥さんが妊娠中であることとか比較的働いている医師たちの話が中心だったところから、シーズン2は思いっきり患者からもたらされる社会的テーマが主体になってて、シーズン2のほうが見ごたえがあった。

 

このドラマシーズン5までは決まっているらしい。

 

私が面白いと思ったのはやはり精神科医が直面するいろんな患者のケース。

 

ストレスホルモンが過剰に出て病気になっているのにとくにストレスや悩みがないという少年。しかし、心理テストをしたら無意識にある人種差別がわかったとか

 

普通の家庭の子供なのに、サイコパス傾向がある少女。自分の弟にケガをさせて病院にやってくる。精神科医師は彼女に行動療法を試みるが、あまりにも賢くて失敗に終わるという話

 

戦争経験者のトラウマ療法のためにグループでギリシャの演劇療法をおこなう。それをおこなうことによって感情を表現するという話

 

高校で銃による犯罪のためのデモ訓練が抜き打ちでおこなわれ、訓練だと知らずに遭遇した高校生の女の子がトラウマを負う。そこで精神科医が学校に行き、みんなに質問をする。他の誰もがあれは訓練であり、とくに自分は問題ないと思っているが、

医師が

あの日以来こわい夢をみるとか訓練があった場所に行くことができないなどいくつかの質問をするとそれに反応してほとんどの生徒が実は影響を受けていたということがわかるという話

 

どれをとってもほんとに面白い。

 

このあげた例でも自分がこころの影響を受けているとか病気であるとかなかなか自覚できない例が多いのは、日本人よりもメンヘラな部分はないと思い込んでいるアメリカ人が多いからなのか。

もちろん日本人でもそういう場合は多々あるけれど。体の領域とこころの領域が両方出てくるところも面白い見所だと思う。

 

今後のシーズンも楽しみ。

北の国からを再度見た

 

北の国から 前編



田中邦衛さんが亡くなって、特別放送で「北の国から」のスペシャルをひとつ放送されたのをみて、最初のシリーズを見たくて全部見た。

 

このドラマは実は本も読んで、本は脚本形式になってるけど、児童文学として読めるような内容で昔感動したことがある。

 

かなり年数たって再度みて驚いたのは

登場する大人が全員タバコを吸っていることだ。

 

男性も女性も・・しかも子供の前で何度も・・。

昭和のドラマってこれが当たり前だったの・・・?

 

宮崎アニメの「風立ちぬ」で結核の奥さんの前でタバコを吸うシーンがちょっと非難されたりしたけど、昭和の日本ではふつうだったのかもしれない。

 

あともう一つ昭和感満載だったのが出てくる俳優が私が子供のころは当たり前にいた人だけどすでに亡くなっている人が多いことだ(^^;)

驚いた。昭和の名優勢ぞろい。

 

当時、本放送で見てなかったけど、確か夜の10時からの放送だった。

子供たちが主人公のようにしているけど、これは誰に向けたドラマだったのかなと思う。

子供が主役のドラマは日本では少ない。子役が主人公の子供時代を演じるとか大人が主人公で子供が脇役はよくあるが、子供が主人公のドラマは当時も、もしかしたら今も子供向けの番組にしかないような気がする。

 

だからかなり画期的なドラマだったなあと思う。

そして純くんと蛍ちゃんはその辺の普通の子供のようなのもすごい。

どうしても劇団の子役みたいな感じが出そうだけど、そのへんの子供感なのだ。

だから親戚の子のような感覚でみてしまう。

 

純くんのどういうところがすごいかというと、笑って嫌なことを言ってしまい、大人に嫌味を言われたりするところ。あのヘラヘラ感が子供らしいのだ。

でも内面では自分のことをそうして嫌な人間だと思っている。

そのあたりの描写がすごいと思う。

 

あと学校のシーンもすごく好きで、涼子先生が蛍ちゃんのキタキツネが罠にかかっていなくなってしまった話についてみんなで話し合うシーンとかそれなりの尺を使っている。

子供たちだけで考えさせようとする先生の姿勢と意見を聞いて、先生がひかかっている言葉についてまた疑問を提示するところ。

 

このドラマは基本大人がみているが、大人社会の中で子供たちはどんな風に考え、どんな思いでいるのかとか大人の立場ではどうかとかそんなことを考えさせられるようになっているのかもしれない。

 

小さな子供だった純くんが成長し、大人になっていく姿は見ている方はいろいろな思いを委ねるが、子役はかなり難しいと思う。

子役はその子自体が成長期というのと、演じる役も成長していくというのが含まれている。それでも二人ともそれぞれ俳優としてそのまま成長していったのはもしかしたらこのドラマの中でちゃんと彼らを守ってくれる大人たちがいたからかもしれない。

 

同じ子役の正吉くん役の子が最初出てきたところを見たら、大人になった彼とまったく顔が同じだったのに笑った。あまり変わってない(笑)

子供のときから完成されてたんだな。

 

放送当時は「大草原の小さな家」の日本バージョンみたいな感じかなくらいだったけど

あのドラマで北海道や富良野にあこがれた人も多かった。

北海道のイメージがものすごく高まった。

 

そんな意味では日本人にとっての大草原の小さな家に近いかもしれない。

 

北海道の自然の厳しさや農業で生きていく大変さというのも何度も出てきた。

 

こういうドラマはなかなか作られないよね。

実は貴重なドラマだったんだなと思った。

 

 

いますごいハマっている歌声

ALL MY DEMONS GREETING ME

 

私は音楽にはまるのはだいたい、ボーカリストの歌声だ。

声のもつ響きがここちよいもの。

もちろん曲も大きいけれど。

 

曲も歌声もすごくマッチするととんでもなく気分はいい。

 

最近ドはまりしている歌声がある。

 

まずノルウェーのシンガー、オーロラ。

アナ雪2で「あーあー」という精霊の声のみ歌ってたので知られるようになったけど、

日本ではまだそうでもないのかな。

まだ日本未公開の映画「シークレットガーデン」でもテーマ曲を歌ってて、そのPVもすごくよかった。

彼女はまだ24歳。10代のころから自分で曲を作り、歌っていた。

とても変わった子どもだったようで、もちろん今もその個性は変わらない。

 

もっと若い頃の彼女の動画を見ると、あきらかに神がかるくらいの歌の神様が下りているかのよう。ケルト音楽にも通じるような歌声。

私がかなり好きなタイプの歌声。

ずっと聴いてられそう。

www.youtube.com

YouTubeチャンネルも登録し、日々聴いている。

 

これは5年くらい前のオーロラの歌声。こころつかむなあ。表現力もすごい。


Aurora: NPR Music Tiny Desk Concert

 

 

 

そしてもう一人はつい最近知ったほしのディスコ。

千鳥の番組で歌ってたから、何やっている人か知らなくて歌がうまい人という感じだったけど、お笑い芸人だというのを知り、

なんで・・?と思うくらいにプロ級の歌の表現力を持っている。

 

2/12放送の鬼レンチャンでのほしのくんの10レンチャンは見ごたえあったわーー。

サビだけじゃなくてオールで全部聴きたい! !

 


裸の心/あいみょんをほしのディスコ(パーパー)が歌ってみた!#14

 


炎 / LiSAをほしのディスコ(パーパー)が歌ってみた!#10


楓 / スピッツをほしのディスコ(パーパー)が歌ってみた!#12

 

ほんとになんで芸人やってるのかというくらい。

歌わなかったらおとなしめの陰キャラで、いじられそうな感じ。

話すのも女の子みたいにかぼそい声で。

 

しかし、歌いだすと、その細い声がすごくハリのある透明感で、30代前半だけど、声変わりしなかったのか?というほどの少年ヴォイス。

すごい才能だと思う。

なんでこんなにいいのかと思うのはそもそも私は少年ヴォイス好きだったというのもあるけど、声が高い男性アーティストが好きというのでもない。

 

とくに女性アーティスト曲を歌うと、女性でも男性でもないジェンダーをこえた何かを感じるくらい。

オーロラちゃんもそうだけど、今の若い人のヴォイスはこういう質を持っている。

そしてその歌い手自身が現実社会ではちょっとなじめないような、変わり者的なところがあるのは水瓶座的な歌い手がどんどん出てきているともいえる。

 

しかし、人のこころをつかむのだ。

 

私は歌番組が大好きだけど、ハモネプとか外人が日本の歌を歌う番組とかすごく好き。

しかし、カラオケバトルはどうも見ていても楽しめない。なぜかなと思ったけど

歌がうまいだけではだめなんだな。

この声とこの感性が聴きたいと思う人じゃないとダメなのかも。

 

外国の人が日本の歌を歌う番組ってけっこう発展途上国みたいなところから参加している人の歌声がめちゃめちゃピュアでこころ動かされることがある。

ということは声の状態ってやはりその人の内面があらわれているんだと思う。

 

ほしのくんのピュアさが伝わるから響くんだろうな。

そしてそういうものを多くの人が実は欲しているということも。

 

ほしのくんのYouTubeチャンネルももちろん登録し、曲ごとにいいねまで押したよこのわたしが(笑)

ハモネプみたいなのやってるのとコラボしているやつもすごくよかったな。

もうこいつミュージシャンだろ(笑)

 

www.youtube.com

自然とのつながりに関連する映画

ここ一か月かそこらで見た映画から。

まず

ウルティマぼくに大地の教えを という映画。

ウルティマ、ぼくに大地の教えを (字幕版)

 

なんとなくシャーマンのおばあさんが男の子に自然との関わりや大地と調和して生きることを教えているだけの素敵な映画にも思えるが

まあまあ社会的な暗部も反映されているので全体のトーンとしては重い映画。

でも非常に宗教的な内容。

 

場所はメキシコに近いアメリカの小さな村。

ウルティマというおばあさんは不思議な力をもつ魔女のような人でフクロウといっしょに主人公の男の子のお家にやってくる。

男の子はおばあさんから薬草について教えてもらう。

薬草をとるときも、ちゃんと薬草に許可をもらって大地と調和して生きることを教えていく。

 

しかし、小さな村は非常に熱心なキリスト教徒たち。

信仰にあつく、子供たちもその教えを何度も刷り込まれている。

 

そのためおばあさんは一部の村人にとっては異端な存在。

同じ村で貧しいがゆえ売春行為をしている女性も非難されている。

 

村人にとっては教義に反する存在であるのに必要とされているのが矛盾するところ。

 

医学では治せない病気にかかったら、まっさきにウルティマが呼ばれ、

あちこちで彼女は治療をして、治していく。

 

男の子は純粋な目でカトリックの教えとウルティマの教えについて相容れない部分をみつめざるを得ない。

 

 

ヨーロッパでの魔女迫害にも近いことなので、一神教の強い影響力を強く感じる。

子供のときにウルティマのようなおばあさんにいろいろ教わる機会があると違う大人になっていくだろうと思う。

 

 

あとようやくアイルランドケルトを主題としたアニメ2つも見た。

 

ブレンダンとケルズの秘密(字幕版)

ソング・オブ・ザ・シー 海のうた(字幕版)

 

ソング・オブ・ザ・シーはすごくかわいかったー♪

「フィオナの海」を思い出す。

 

どちらも自然界の精霊が出てくるのでこういうのが好きな方には楽しめるかと。

アニメだと普通にこういう世界は受け入れられるからいろいろ作ってほしい。

 

 

あとドイツ映画の「雪の女王」もみた。

雪の女王

 

男の子も女の子も美形なのでそれはよかったけど

お話としてはちょっと弱い感じもある。

 

でもビジュアル的にお花の魔女のような人のいる庭のシーンや

お城でのシーンなど美しくて

とくにゼルダちゃんの衣装や花冠などに萌える。

ロケ地の自然も美しいのでビジュアル重視で見る映画。

 

アナと雪の女王2 (吹替版)

 

あと言わずとしれた「アナ雪2」

北欧神話的モチーフが織り込まれており、精霊も出てくる。

ディズニーもだんだん変わってきているのね。

 

一応、アナには恋人がいるけど、これまでのディズニーによくある

王子とお姫様物語からエルサという存在は異質かもしれない。

 

西洋での王子とお姫様の話は男性性と女性性の出会いと結合ということになるけど

この作品ではアナとエルサという二人の女性がそれぞれの役目を果たすというところが

大きい。

 

アメリカではようやく初めて女性が副大統領となることができ、

女性の時代が大きく動いていくことの象徴性もあるのかなとも思う。

 

 

本の整理を延々してしまう・・

秋から冬にかけて恒例の片づけ、整理が暇でもないのに続いている。

やり始めたら落ち着かないので・・。

だいたい整理はついたけど。

 

本の片づけは本棚のサイズが決まっているので、その棚の大きさにあう本を入れることになり、

ジャンルを同じにしたいのに、そこにあわないものもある。

また、この本はどこのジャンルになるのか悩むものもある。

そんなわけで非常に頭を使った。

 

本棚をじーーーっとみて、パズルのにように

「あ、この本はここじゃない」とわかるものがあれば移動。

 

最近は電子書籍で買うものもあるのだけど

電子より紙もののいいところは目につくことができるということ。

しまい込むととたんにその本を開くことはなくなる。

 

本が多すぎると埋もれるので開かない本になってしまう。

 

なのでもう開くことはないだろうとかいらないなと思うものを選別して

整理しなければならない。

 

埋もれていても必ず読むものがお気に入りの漫画。

これは思入れがあるので捨てられない。

 

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最近増えつつあるのが料理本

料理は健康本と並べることにした。

意外と基本の料理本がない・・・(^^;)

まあネットでも見れるし。

 

電子書籍で安いからと料理本を買ってしまったものがあるけど

ほんと開かない。そして見にくいのでやはり私には紙がいいかな。

 

料理本は少ないとは思う。買ってもそのレシピ作るかな・・と思うものもあるから。

それよりは最近は健康のためのアーユルヴェーダとか薬膳などレシピを作るための本のほうが参考になる。

 

今ほしいのはヴィーガンの本。ベジでも効率よくタンパク質など取れるにはどのようなメニュー作りが考えられるのかまで書いてある本。

 

好きなものがフレンチとエスニックなのでそれらの本の割合が多い。

料理本もその中でジャンルわけできるようにもしたい。

ただ、これも大きさがまちまちのものが多いのね。

 

自宅の本屋、図書館的に眺めるのが好き。

買ったばかりの雑誌などは本屋さんのように百均で購入したブックスタンドで

表紙がみえるように置いている。

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料理本また並び替えてみました。これで落ち着いた。

こんまりさんのやり方では本の帯はとるということだけど

ついたまま保管することがやはり多いな。

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人の家の本棚みるのもけっこう好きだけど

家にある本は自分の頭の中の興味とわりと一致する。

うちには仕事用の本棚にハーブ、アロマ、フラワーエッセンス

占星術、心理学、心理療法関係、ヒーリング関係が収まり、

それ以外の趣味の本棚に絵本、漫画、児童書、赤毛のアン

モンゴメリコーナー(これはひとつの棚をしめている)

文庫本、植物・薬草関係(ここにシュタイナー系やネイティブアメリカンものが入る)

ガーデニング、手芸の本、タロット、カバラ、スピリチュアル系の本に

料理・健康本、旅行関係、エクササイズやストレッチの本、神話、小説、エッセイ

という感じ。

 

書庫がほしい・・。

漫画に関してはうちの兄の持っている漫画とあわせて一部屋漫画部屋が屋根裏にある。

だいぶ処分はしてあるけど・・。

 

最近はふとんやカーテンもリニューアルされ、部屋がますます快適で

おこもりしやすくなり、どうだろう・・と思うのもあるけど

このコロナの状況では部屋の快適さを求める人たちが随分と増えたのではないだろうか。。

ニトリに週末行くと車が停められないくらい人が来てるし。

 

 

 

人がバズるということ

脱サラ41歳のマンガ家再挑戦 王様ランキングがバズるまで

 

漫画「王様ランキング」の作者の方の自分の作品が世の中で知られるようになるまでのエッセイを読んだ。

 

人や何か作り出されたものが世の中でめちゃめちゃ広まるというタイミングは

西洋占星術でいうと木星とか海王星、場合によっては冥王星のような巨大な力が働くタイミングと重なることがある。

 

鬼滅の刃」も作者の方の短編集など読んだところ、かなりマイナー路線というか独特な世界観のある方なので、大衆に多く広まっているのは何らかの力が働いているともいえる。

 

十日さんは描いているもの自体はおそらくそう変わっていないのではないかと思うけど

それが世の中に出ていくにはいくら面白い作品を書いたとしても一定数以上の人に読まれないと出版もできないし、収入にはなりえない。

 

よく昔の作家や画家が亡くなった後で世に知られることがある。

宮沢賢治もそうらしい。

創作を生業とするには知られないと始まらない。

知られないと収入にはならないし、生活できないから趣味でしかなくなる。

 

それを考えるとこの十日さんが若いときに漫画家を目指していたがうまくいかなかったのは昔は編集部に持ち込むか雑誌の漫画コンテストに入賞するしか方法がなかったというのも大きかった。

 

いまは作家も漫画家もネット媒体から生まれるのが当たり前になってきている。

十日さんの場合はある日ツイッターでめちゃめちゃバズったことが大きく運命を変えた。

 

実をいうと私はツイッターで「王様ランキング」を知り読んだ。

とても面白いと思った。

それまでもずっと描き続けていたと思うけど

面白いだけでは仕事にはしていけないんだなあとエッセイ漫画を読んでつくづく思った。

 

どんなに美味しいケーキを作る職人でもそのケーキを知ってもらわないとまったく売れないのと同じ。

 

漫画家というのは比較的内向性の強い性格の人が多いので、戦略的に考えることは難しい。しかし十日さんは単行本化の話があったときに一度断っている。

それはどうすれば閲覧数を増やすことができるのかかなり考えているのもあって、

自分の現実を分析し、もっとPVがなければたとえ単行本化されても打ち切りの可能性が生じることを知ったからだ。

これはなかなかの決断だと思う。

 

しかし、様々な葛藤を繰り返しつつ、孤独にこつこついろんな試みをおこなってきたことが報われたのかもしれない。

 

ツイッターでバズるのはいわゆるインフルエンサー的な人からの影響が大きい。

 

 

実際何かが広まるというのは個人的にはどのようなタイミングだろうかというのは

私はけっこう興味がある。

いまや占星術界の大御所である松村潔さんが急速にその名が占星術界で広まるようになったのは松村さんの進行の太陽が牡牛座に入ったことが大きいみたいな話を読んだことがある。牡牛座は金銭的なものや物質的なものの安定とつながるサインでもある。

 

進行の太陽は自分が生きているうちにせいぜい3つくらいしかサイン移動しないので

自分は生きてるうちに進行の太陽は牡牛座に入らないな・・と確認したこともある(笑)

 

貧しい暮らしをしていた人が大きくバズった人の一人として作家のJ.K.ローリングがいる。

日本では作家や漫画家はアニメ化かドラマ化が大きく発展するきっかけになることが多いけど、海外では映画化が大きい。

魔法もののファンタジーなんておそらくそうとうな数の作品が世に出ているだろうけど

その中でもハリー・ポッターは不動の地位にあがっていった。

 

出版されてベストセラーになったのは1997年。映画化は2001年。

この2つの年が彼女にとっては大きな転機だったといえる。

 

ちょっとチャートを見てみると

1997年ローリングさんが32歳のとき。

進行の太陽はもともと乙女座に固まっている天体の間を移動中だった。

それが出生の天王星に太陽がきたころのタイミングは大きいかも。

 

ソーラーアーク海王星が10室を移動中でMCの支配星である木星オポジションも大きい。

トランジットの木星はASCを通過しようとしている。

DSC近くに彼女の太陽がもともとあるのでASCに公転周期の長い天体がくると太陽とオポになって影響を与える。

 

映画化される2001年あたりにはトランジット天王星がASCを通過。

 

個人的にみてみるとトランジットもあるけど、わりに進行図も影響がみられることも多い。

 

女優さんの浜辺美波さんを見ていて、「この人けっこう今乗ってるなあ」と感じたときにチャートを見たことがあるんだけど、彼女はいま金星期である20歳。

キラキラ感が確かにある。

金星はとくに女優さんにとってはアイドル的な要素を含む。

彼女の金星に進行の太陽がのっかている。

その金星は乙女座の終わりの方にあるけど、トランジットの土星冥王星木星とトライン。というのも大きそう。

出生時間がわからないのでMCの支配星がわかればその天体へのアクセスがあれば大きい。

 

先日たまたまNHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」で田中みな実さんを見たけれど

彼女自身今だけの流行りの中にいることを意識していて葛藤があるように感じた。

彼女の進行の太陽は出生の海王星にきている。なるほど。

射手座太陽なので、彼女のブームとしては木星が射手座移動のときのほうが大きかったかもしれない。獅子座の月はもっと認められたいという欲求につながっているかな。

 

 

バズることを想定して星を見ると、あまりうまくはいかない。

それよりも自分にとっての拡大期があるということを知った上で

こつこつと努力するしかない。

誰かに認められることよりも、まず自分を認めていくこと。

作家や創作家は才能が認められ、確かに売れないと生活ができない。

本当にそこがジレンマではあるけど、何らかの形で食いつなぎながらやっていくことが大事なんだな。

 

そのうち単独の作家や音楽家、クリエイターもクラウドファウンディングのような形で多くのファンによって直接その人の活動を支援できるような世の中になるのではないかとも期待はある。

アンという魔法

アンという名の少女

 

NHKでドラマ「アンという名の少女」が始まった。

Netflixではシーズン3まで見られるらしいが、入ってないので

とりあえずNHKでみる。

 

スピード感があり、カメラワークにセンスがあり、俳優陣も魅力的で引きこまれる。

なによりも主役のアン役のエイミーベスが見事にアンである。

 

過去にも映画化されたりしたことはあったけど、ちょっと年齢がいってて

ふっくらしてたりしてイメージと少し異なっていたりした。

 

私が「赤毛のアン」をはじめて読んだのは中学生のとき。

アニメの「赤毛のアン」が始まったときだった。

高畑勲赤毛のアンに夢中になってみていた。

そして原作を読み始めると非常に忠実にアニメ化されていた。

一話が章ごとになっていたが、それだとアニメの回数からすると足りなくなるから

追加したオリジナルな部分もあったりするが

美術も音楽も素晴らしく、丁寧にアンの世界を作り上げていた。

多くの日本人はその印象が強いので

今回の「アンという名の少女」のアンはアニメで出てくるアンとも似ているということに気づく。

マリラやリンド夫人もかなりイメージ通り。

 

ところがマシューはどうだ。

第一話の冒頭で海辺で馬にまたがって走る男性が出てくるが

まさかそれがマシューだなんて最初は誰も思わない。

ネット上では草刈正雄似だというマシューは

あまりにアニメ版や過去の映画で出てくるマシューとは異なり若い。

まあまあイケメンだし。

それが馬車じゃなくて、直接馬に乗っかって突っ走るシーンなどあれば

すごい見せ所ではないか。

 

名作は何度もリメイクされるがそれはただ原作をなぞるためではない。

名作をとおして、現代の問題をみること、考えることができるのだ。

このドラマもそれを意図している。

 

第一回目でアンが男の子ではなく、女の子ということで彼女は

「畑仕事は女の子でもできます」という。

これはオリジナルなセリフらしいが、女性のテーマもあり、

雇われたジェリーという男の子はフランス系というのも実は知らなかった。

そんな時代の背景も出てくる。

 

何度も何度も読んでいた「赤毛のアン」、映画にもなったりしてそれも見たはずなのに

ドラマ化されたものにもすぐに夢中になる。

で、また村岡花子訳の「赤毛のアン」を手に取ると・・

字が小さすぎて読めないではないか!!!( ゚Д゚)

以前から気になっていた松本侑子さん訳の「赤毛のアン」を早速キンドルで購入。

若いときに読んでいた人たちは今や、過去の文庫本の字の小ささと行間のなさで

読めなくなっているとは。。

それでもモンゴメリの原作は今読んでもまったく色褪せず、素晴らしい。

他の名作ものとは一線をこえる。独特の世界観がある。

 

これは登場人物の丁寧な描写とプリンス・エドワード島の自然をたっぷりと描写されているところにある。

 

アンという少女にとっての島の自然はたましいをもっとも癒す材料となり、

それを読み手も味わうことになる。

 

このお話に多くの人が惹かれるのは

孤児であるアン・シャーリーとあまり人と多く関わることなく静かに暮らす独身の中年姉と弟という孤独な3人の話でもあること。

 

ドラマでは孤児院時代などのアンの過去が出てきて、トラウマ的な状態でもあったりする。時代からすると孤児院は多くの子供たちがいたかもしれない。

けっこうたくましく生きていた子供たちが多かったかもしれない。

それでも感受性豊かなアンは変わり者だったし、生きにくさをずっと感じていたに違いない。トラウマがあったとしてもおとなしく、閉ざした少女ではなかった。

かといって、まわりの空気を読んでいい子でいる子でもない。

常に自分に正直に感情をあらわにし、個性のままに生きているのだ。

 

当時の因習的な島ではかなり目立つ存在だろう。

 

マリラとマシューにとっても今まで見たこともない生き物かもしれない。

アンの孤独は彼女が彼女のままでいることを許してくれる存在と出会うことで癒される。それは島の豊かな自然とマシューという存在。

もちろんマリラもそうではあるが、彼女からの愛情は厳しさの裏側に見え隠れし、

それもたぶんアンは受け取っているだろう。

そしてマリラとマシューもまたアンによってこころが豊かになり、人生に色がさしてくる。誰かを愛おしく感じることを経験していく。

 

実はマリラとマシューのように独身の姉弟というのもおそらく当時の島では

異質な存在かと思われる。

このようなマイノリティたちがさまざまな経験をしながら、家族になっていく様子は

どういうわけか感情的な要素を引き出される。

アンの人との関わり方はあまり境界がない。

これは人間、とくに女性を苦手とするマシューがすぐにアンを受け入れることができた要因でもある。

ものおじせずに初対面の大人と話もできる。

 

とても個性的なので日本だったら、海外でもいじめの対象になるかもしれない。

その個性の芽を残したまま、大人として成長していくところが物語の核となっていくけど、読み手はひたすらアンの個性がなす行動とまわりの人たちの反応を読みつつ、

親目線で、彼女がだんだん大人になっていく様子を見守る。

 

成長していく姿をみることは大きな刺激となる。

ありのままに生きているアンをみて、「そのままでもいいのだ」「大丈夫」

という気にもなる。

そうやってアンという魔法が自分の中に浸透していくと

現実を生きることももう少し楽になるのではないだろうか。

私が10代のときにこの物語に支えられて苦しいときを過ごせたのは

アンという友人がいたからである。