Around the garden

フラワーエッセンスプラクティショナーによる植物や自然と過ごす日常とエッセイ

映画「光」・みることと共有すること

光 スタンダード・エディション DVD

 

河瀬直美という映画監督さんはいま生きている日本の映画監督の中で

実は一番好きである。

 

「光」は映画館で見に行けなかったので、DVDで鑑賞した。

 

主人公は視覚障害者のための音声ガイドを作る仕事をしている。

モニターさんを通して、作りながら、実際に障害のある方の意見を聞く。

 

そこで言われることは

「主観を入れてはいけない」

「細かく説明しすぎて、映画の余韻を残していない」

「説明が足りな過ぎてもわからない」

 

映画という個人によってどのようにその映像をみるのかわかれるような

ものに対して、言葉によってその形にならないものにあえて形を与えて、

伝えるという仕事なのだ。

そんな世界を知らなかったのでとても興味をひくが、

これは他のことにも置き換えられるようにも思う。

 

そこで言われた視覚障害の方の言葉は

映画の中に入り込んで、体験している

そしてそこに横たわっている私たちにはとらえることが

できないようなもっと大きなものが映画にはあるというような

ことをおっしゃられていた。

 

フラワーエッセンスの花の性質をあえて言語にする

というのと何か似ている。

 

見える人からすると見えているものだけを伝えようとする。

しかし、見るというのは実はそれだけではないのだ。

 

主人公の女性は自分には見えていないものを

視力を失おうとしている元カメラマンの男性によって

彼が見ている世界を体験していく。

 

とにかく河瀬監督の描き方は内面の表現の仕方がうまい。

後で気づいたが、このDVDは音声ガイドがつけられるようになっている。

この映画をガイドなしで見たけれど、

こんなに言葉で表現しにくい世界をいったいどんな音声で語られているのだろうか・・と。

もう一度ガイド付きで見るしかない (笑)

 

最後は泣ける。

まだ3月だけど、今年見た映画の中では一番こころに触れる映画だった。

 

身障者と健常者の間の壁のようなものを主人公は感じるが、

それは他にも男と女とか人種とか

結婚している人としていない人とか

貧しい人と裕福な人など

すべてにおいて異質なものが存在する世界に私たちは生きている。

その中で共有するものを探すこと。

これがきっと主人公の女性がたどり着いたところではないだろうか。

 

彼女自身も闇を持つ。

目は見えているけれど、こころの闇。

そこから見出すべきものは光しかない。

 

だからそこに泣けるのだ。

誰もが持っている、経験している闇があるならば。

 

自分の内面も含めて、相手の世界を理解しようとするのは

すべての関係性では必要なことなのだ。