【赤毛のアン】マリラの母性
このあいだから思いつつ、書けなかった記事。
「赤毛のアン」に登場するマリラ・カスバートは兄のマシュウとともにこの時代にしては珍しく、独身で生涯過ごす女性の一人である。
マリラの暮らしは堅実に淡々と日々を過ごす静かな生活だ。
修道女のような暮らしといってもいいかもしれない。
しかしそこには日々の喜びや自分が生きがいとするものも特になく、本当に淡々と労働を繰り返すだけのもの。
おそらく、マリラとマシュウが男の子を引き取ろうと思ったのはただ労働力がほしいだけではなく、新しい家族、しかも子供がくれば、自分たちにとって新たな刺激ともなり、もう少し楽しい暮らしが出来るのではないかと思ったのではないか。
実際のところは男の子ではなく、女の子で、しかも一筋縄ではいかない個性的な女の子で、それまでの静かな暮らしから大きく変化するわけである。
もともとマリラはキビキビした堅い女性で、規律を重んじるようなところがあり、やわらかい母性的な面があまり見られるような人ではなさそうだ。
しかし、彼女の母性について書かれたある文に目が止まった。
『アンは急にすりよってマリラの固い手のひらに、そっと手を滑り込ませた。「家へ帰るってうれしいものね。自分の家と決まったところへ帰るのはね。」とアンは言った。・・・略・・・その細い小さな手が、自分の手にふれたとき、なにか、身内のあたたまるような快いものがマリラの胸にわきあがった--たぶん、これまで味わわなかった、母性愛であろう。こんなことははじめてなのと、心をとろかすような、その甘さにマリラは気分をかきみだされた。が、あわてていつもの落ち着きを取り返そうとして、さっそく、教訓を一つもちだした。』
「赤毛のアン」新潮文庫 村岡花子訳 102P
私がはじめて「赤毛のアン」を読んだのはちょうどアンと同じくらいの年齢でした。
たぶんそのときだとこの文章はスルーしてしまうようなものだったかもしれない。
ところが気が付くと、マリラの年齢はこの設定ではわからないが、おそらく自分はいま、マリラとかなり年齢が近いところにいるであろう。
ちなみにモンゴメリが書き始めたのは30歳のとき。
マリラは非常に自制心の強い女性だと思う。本来ならギルバートの父親と恋仲で、結婚する予定だっただろうに、お互いに意地をはって結婚することはなかった。
内に秘めるものをあくまで隠そうとするタイプだ。
しかし、アンの個性はこの孤独な兄妹のこころをわしづかみにし、ハートの中に入り込み、ゆるませていくのだった。
アンをいったんは送り返そうとマリラは送る途中、アンのこれまでの生い立ちを聞き、黙り込んでしまう。愛情を与えられるでもないそれまでのアンの人生に対し、こころを動かされる。
最終的にアンがさらに冷感な女性にこきつかわれようとしているのを見て、決心したのだった。
はじめは良心からかもしれないが、彼女の母性の種は芽生え始めていたと思う。
この物語の中のマリラとマシュウとアンの関係は普通の家族とは少し違うかもしれないが、家族愛を感じる表現がときどき出てくる。
それも大人二人は不器用だけにぎごちないかもしれないが、その関係性に逆に日本人は現実に近い感じがするかもしれない。
そう、日本でこれだけ人気があるのはマリラという人物がある意味、日本人によくある母親像にも近いからかもしれない。
勤勉でまじめで厳しい感じ。
こういうマリラの母性についての文章があることを今頃はじめて発見したわけだけど、今の年齢だから目にとまったのでしょうねf^_^;