Around the garden

フラワーエッセンスプラクティショナーによる植物や自然と過ごす日常とエッセイ

北の国からを再度見た

 

北の国から 前編



田中邦衛さんが亡くなって、特別放送で「北の国から」のスペシャルをひとつ放送されたのをみて、最初のシリーズを見たくて全部見た。

 

このドラマは実は本も読んで、本は脚本形式になってるけど、児童文学として読めるような内容で昔感動したことがある。

 

かなり年数たって再度みて驚いたのは

登場する大人が全員タバコを吸っていることだ。

 

男性も女性も・・しかも子供の前で何度も・・。

昭和のドラマってこれが当たり前だったの・・・?

 

宮崎アニメの「風立ちぬ」で結核の奥さんの前でタバコを吸うシーンがちょっと非難されたりしたけど、昭和の日本ではふつうだったのかもしれない。

 

あともう一つ昭和感満載だったのが出てくる俳優が私が子供のころは当たり前にいた人だけどすでに亡くなっている人が多いことだ(^^;)

驚いた。昭和の名優勢ぞろい。

 

当時、本放送で見てなかったけど、確か夜の10時からの放送だった。

子供たちが主人公のようにしているけど、これは誰に向けたドラマだったのかなと思う。

子供が主役のドラマは日本では少ない。子役が主人公の子供時代を演じるとか大人が主人公で子供が脇役はよくあるが、子供が主人公のドラマは当時も、もしかしたら今も子供向けの番組にしかないような気がする。

 

だからかなり画期的なドラマだったなあと思う。

そして純くんと蛍ちゃんはその辺の普通の子供のようなのもすごい。

どうしても劇団の子役みたいな感じが出そうだけど、そのへんの子供感なのだ。

だから親戚の子のような感覚でみてしまう。

 

純くんのどういうところがすごいかというと、笑って嫌なことを言ってしまい、大人に嫌味を言われたりするところ。あのヘラヘラ感が子供らしいのだ。

でも内面では自分のことをそうして嫌な人間だと思っている。

そのあたりの描写がすごいと思う。

 

あと学校のシーンもすごく好きで、涼子先生が蛍ちゃんのキタキツネが罠にかかっていなくなってしまった話についてみんなで話し合うシーンとかそれなりの尺を使っている。

子供たちだけで考えさせようとする先生の姿勢と意見を聞いて、先生がひかかっている言葉についてまた疑問を提示するところ。

 

このドラマは基本大人がみているが、大人社会の中で子供たちはどんな風に考え、どんな思いでいるのかとか大人の立場ではどうかとかそんなことを考えさせられるようになっているのかもしれない。

 

小さな子供だった純くんが成長し、大人になっていく姿は見ている方はいろいろな思いを委ねるが、子役はかなり難しいと思う。

子役はその子自体が成長期というのと、演じる役も成長していくというのが含まれている。それでも二人ともそれぞれ俳優としてそのまま成長していったのはもしかしたらこのドラマの中でちゃんと彼らを守ってくれる大人たちがいたからかもしれない。

 

同じ子役の正吉くん役の子が最初出てきたところを見たら、大人になった彼とまったく顔が同じだったのに笑った。あまり変わってない(笑)

子供のときから完成されてたんだな。

 

放送当時は「大草原の小さな家」の日本バージョンみたいな感じかなくらいだったけど

あのドラマで北海道や富良野にあこがれた人も多かった。

北海道のイメージがものすごく高まった。

 

そんな意味では日本人にとっての大草原の小さな家に近いかもしれない。

 

北海道の自然の厳しさや農業で生きていく大変さというのも何度も出てきた。

 

こういうドラマはなかなか作られないよね。

実は貴重なドラマだったんだなと思った。

 

 

自然とのつながりに関連する映画

ここ一か月かそこらで見た映画から。

まず

ウルティマぼくに大地の教えを という映画。

ウルティマ、ぼくに大地の教えを (字幕版)

 

なんとなくシャーマンのおばあさんが男の子に自然との関わりや大地と調和して生きることを教えているだけの素敵な映画にも思えるが

まあまあ社会的な暗部も反映されているので全体のトーンとしては重い映画。

でも非常に宗教的な内容。

 

場所はメキシコに近いアメリカの小さな村。

ウルティマというおばあさんは不思議な力をもつ魔女のような人でフクロウといっしょに主人公の男の子のお家にやってくる。

男の子はおばあさんから薬草について教えてもらう。

薬草をとるときも、ちゃんと薬草に許可をもらって大地と調和して生きることを教えていく。

 

しかし、小さな村は非常に熱心なキリスト教徒たち。

信仰にあつく、子供たちもその教えを何度も刷り込まれている。

 

そのためおばあさんは一部の村人にとっては異端な存在。

同じ村で貧しいがゆえ売春行為をしている女性も非難されている。

 

村人にとっては教義に反する存在であるのに必要とされているのが矛盾するところ。

 

医学では治せない病気にかかったら、まっさきにウルティマが呼ばれ、

あちこちで彼女は治療をして、治していく。

 

男の子は純粋な目でカトリックの教えとウルティマの教えについて相容れない部分をみつめざるを得ない。

 

 

ヨーロッパでの魔女迫害にも近いことなので、一神教の強い影響力を強く感じる。

子供のときにウルティマのようなおばあさんにいろいろ教わる機会があると違う大人になっていくだろうと思う。

 

 

あとようやくアイルランドケルトを主題としたアニメ2つも見た。

 

ブレンダンとケルズの秘密(字幕版)

ソング・オブ・ザ・シー 海のうた(字幕版)

 

ソング・オブ・ザ・シーはすごくかわいかったー♪

「フィオナの海」を思い出す。

 

どちらも自然界の精霊が出てくるのでこういうのが好きな方には楽しめるかと。

アニメだと普通にこういう世界は受け入れられるからいろいろ作ってほしい。

 

 

あとドイツ映画の「雪の女王」もみた。

雪の女王

 

男の子も女の子も美形なのでそれはよかったけど

お話としてはちょっと弱い感じもある。

 

でもビジュアル的にお花の魔女のような人のいる庭のシーンや

お城でのシーンなど美しくて

とくにゼルダちゃんの衣装や花冠などに萌える。

ロケ地の自然も美しいのでビジュアル重視で見る映画。

 

アナと雪の女王2 (吹替版)

 

あと言わずとしれた「アナ雪2」

北欧神話的モチーフが織り込まれており、精霊も出てくる。

ディズニーもだんだん変わってきているのね。

 

一応、アナには恋人がいるけど、これまでのディズニーによくある

王子とお姫様物語からエルサという存在は異質かもしれない。

 

西洋での王子とお姫様の話は男性性と女性性の出会いと結合ということになるけど

この作品ではアナとエルサという二人の女性がそれぞれの役目を果たすというところが

大きい。

 

アメリカではようやく初めて女性が副大統領となることができ、

女性の時代が大きく動いていくことの象徴性もあるのかなとも思う。

 

 

アンという魔法

アンという名の少女

 

NHKでドラマ「アンという名の少女」が始まった。

Netflixではシーズン3まで見られるらしいが、入ってないので

とりあえずNHKでみる。

 

スピード感があり、カメラワークにセンスがあり、俳優陣も魅力的で引きこまれる。

なによりも主役のアン役のエイミーベスが見事にアンである。

 

過去にも映画化されたりしたことはあったけど、ちょっと年齢がいってて

ふっくらしてたりしてイメージと少し異なっていたりした。

 

私が「赤毛のアン」をはじめて読んだのは中学生のとき。

アニメの「赤毛のアン」が始まったときだった。

高畑勲赤毛のアンに夢中になってみていた。

そして原作を読み始めると非常に忠実にアニメ化されていた。

一話が章ごとになっていたが、それだとアニメの回数からすると足りなくなるから

追加したオリジナルな部分もあったりするが

美術も音楽も素晴らしく、丁寧にアンの世界を作り上げていた。

多くの日本人はその印象が強いので

今回の「アンという名の少女」のアンはアニメで出てくるアンとも似ているということに気づく。

マリラやリンド夫人もかなりイメージ通り。

 

ところがマシューはどうだ。

第一話の冒頭で海辺で馬にまたがって走る男性が出てくるが

まさかそれがマシューだなんて最初は誰も思わない。

ネット上では草刈正雄似だというマシューは

あまりにアニメ版や過去の映画で出てくるマシューとは異なり若い。

まあまあイケメンだし。

それが馬車じゃなくて、直接馬に乗っかって突っ走るシーンなどあれば

すごい見せ所ではないか。

 

名作は何度もリメイクされるがそれはただ原作をなぞるためではない。

名作をとおして、現代の問題をみること、考えることができるのだ。

このドラマもそれを意図している。

 

第一回目でアンが男の子ではなく、女の子ということで彼女は

「畑仕事は女の子でもできます」という。

これはオリジナルなセリフらしいが、女性のテーマもあり、

雇われたジェリーという男の子はフランス系というのも実は知らなかった。

そんな時代の背景も出てくる。

 

何度も何度も読んでいた「赤毛のアン」、映画にもなったりしてそれも見たはずなのに

ドラマ化されたものにもすぐに夢中になる。

で、また村岡花子訳の「赤毛のアン」を手に取ると・・

字が小さすぎて読めないではないか!!!( ゚Д゚)

以前から気になっていた松本侑子さん訳の「赤毛のアン」を早速キンドルで購入。

若いときに読んでいた人たちは今や、過去の文庫本の字の小ささと行間のなさで

読めなくなっているとは。。

それでもモンゴメリの原作は今読んでもまったく色褪せず、素晴らしい。

他の名作ものとは一線をこえる。独特の世界観がある。

 

これは登場人物の丁寧な描写とプリンス・エドワード島の自然をたっぷりと描写されているところにある。

 

アンという少女にとっての島の自然はたましいをもっとも癒す材料となり、

それを読み手も味わうことになる。

 

このお話に多くの人が惹かれるのは

孤児であるアン・シャーリーとあまり人と多く関わることなく静かに暮らす独身の中年姉と弟という孤独な3人の話でもあること。

 

ドラマでは孤児院時代などのアンの過去が出てきて、トラウマ的な状態でもあったりする。時代からすると孤児院は多くの子供たちがいたかもしれない。

けっこうたくましく生きていた子供たちが多かったかもしれない。

それでも感受性豊かなアンは変わり者だったし、生きにくさをずっと感じていたに違いない。トラウマがあったとしてもおとなしく、閉ざした少女ではなかった。

かといって、まわりの空気を読んでいい子でいる子でもない。

常に自分に正直に感情をあらわにし、個性のままに生きているのだ。

 

当時の因習的な島ではかなり目立つ存在だろう。

 

マリラとマシューにとっても今まで見たこともない生き物かもしれない。

アンの孤独は彼女が彼女のままでいることを許してくれる存在と出会うことで癒される。それは島の豊かな自然とマシューという存在。

もちろんマリラもそうではあるが、彼女からの愛情は厳しさの裏側に見え隠れし、

それもたぶんアンは受け取っているだろう。

そしてマリラとマシューもまたアンによってこころが豊かになり、人生に色がさしてくる。誰かを愛おしく感じることを経験していく。

 

実はマリラとマシューのように独身の姉弟というのもおそらく当時の島では

異質な存在かと思われる。

このようなマイノリティたちがさまざまな経験をしながら、家族になっていく様子は

どういうわけか感情的な要素を引き出される。

アンの人との関わり方はあまり境界がない。

これは人間、とくに女性を苦手とするマシューがすぐにアンを受け入れることができた要因でもある。

ものおじせずに初対面の大人と話もできる。

 

とても個性的なので日本だったら、海外でもいじめの対象になるかもしれない。

その個性の芽を残したまま、大人として成長していくところが物語の核となっていくけど、読み手はひたすらアンの個性がなす行動とまわりの人たちの反応を読みつつ、

親目線で、彼女がだんだん大人になっていく様子を見守る。

 

成長していく姿をみることは大きな刺激となる。

ありのままに生きているアンをみて、「そのままでもいいのだ」「大丈夫」

という気にもなる。

そうやってアンという魔法が自分の中に浸透していくと

現実を生きることももう少し楽になるのではないだろうか。

私が10代のときにこの物語に支えられて苦しいときを過ごせたのは

アンという友人がいたからである。

 

 

 

映画「ボーダー 二つの世界」

 

ボーダー 二つの世界 [Blu-ray]

 

見て見たかった「ボーダー 2つの世界」を見ました。

 

スウェーデンの映画です。

北欧らしさがあります。

 

主人公の女性は人間でありつつ、生まれつき人とかなり違う面があります。

匂いに敏感で、人の感情をみわけることができるのです。

 

それをいかした仕事についているという設定からし

非常に恵まれていると思われます。

もしかしたら北欧ではそうした能力は受け入れられているのかもしれません。

 

また、人と自然が非常に近いというのもそのひとつ。

主人公の女性は森で暮らしています。

常に自然とつながりながら生きているから自分でいられるのです。

 

異物を多くの人は受け入れにくく感じます。

 

この映画のレビューのいくつかを見てみると

受け入れられない人も多く見受けられました。

 

自分と異なるものを受け入れるための映画ではないと思いますが

異なるものについてどう感じるのかを刺激する映画です。

 

異物を排除するという話をちょうど昨日占星術のグループで話していて

それって免役もそうだなということも話してました。

 

コロナウイルスによって差別や異物、境界に関する問題が大きくなっています。

 

異なるものを認識するのは

まず自分はどう感じるかはおいておいてそのままを受けとめる

(ああ、こういうものがあるんだなという)

という意識がまず必要です。

 

その上で受け入れるかどうかは自分次第。

 

映画だと比較的たやすいけど、もしそれが現実ならどうだろうか。

 

時間はかかるかもしれない。

自分がこれまでどのような価値観で生きていたか、

どのような人に囲まれていたのか

どういう世界を見ていたのか

 

によって異なるものに慣れていくには時間が必要になるでしょう。

 

人間関係もそうですね。

基本異なる人間同士が関係をつなげていくのだから。

 

あきらかに違うものを排除するというやり方は少しずつ違った形になるかもしれないけど、人によっての許容度やこころのゆとりは経験をとおしてじゃないと

広げられないところはあります。

 

 

それにしてもこの映画の中にある森のシーン、うらやましい。

 

思ったよりセクシャルな場面もあって、若干蠍座っぽさを感じる映画でした。

 

日本の昔話ではつる女房とか竹取物語とか異界との境界が薄い感じがあったけど

まだそういう部分が残っている北欧のイメージが感じられます。

 

 

 

「鬼滅の刃」を象徴的にみてみる。

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鬼滅の刃」・・ふだんジャンプの少年漫画ってほとんど読むことないけど、

アニメ版をみてコミックを20巻まで読みました。

人気なのがわかるぐらいめちゃめちゃ面白いです。

 

ときは日本の大正時代。

鬼がいる世界で生きる人々。

多くの人は鬼によって孤児になり、鬼と戦うための鬼滅隊に入る若者もいる。

それでもよくある悪と戦う正義の話のようでもあり、

主人公が戦いや旅をとおして成長していく話でもあるとは思います。

 

ところが西洋との違いかもしれないけど

鬼は必ずしも悪ではないという見方もさせてくれる。

まず主人公の妹は鬼になってしまったけど、人を食うことはしない。

他にもよい鬼が登場するし、悪い鬼でももともと人間であったことを思い出す鬼もいる。

そんなところに複雑な鬼と人間との関係を見ることができます。

 

ダースベーダになってしまった少年がもとは普通の少年だったように

その人が悪となったのはその人の中の闇がかかわります。

 

主人公の妹であるねずこちゃんには主人公の中と同じように光の小人がきっといるのでしょう。

 

登場人物のほとんどが孤児、鬼に家族を殺されたかもともと捨て子であるというのも

興味深くもあるけれど、それを守護していく人もいる。(お館さまみたいに)

そのもっとも上にいるのが柱という存在。

鍛え抜かれた実力者たち。

それはライトワーカーとしてのもっとも強い存在。

 

この物語でおそらく読み手の子供たちが一番共感できるのは

善逸ではないかと思います。

 

それは現代の子供が大正時代のこの時代に入り込んだよう。

ものすごくビビリで弱く、客観的な見方をする。

「これ誰が考えたんだよ。死んでくれないかな」

「やばい奴だ!」

とか口調的には大正時代にはいないでしょう(笑)

 

しかし、彼はものすごく弱い存在でありながら、

表層意識が眠るととてつもなく強いのです。

 

自分は弱いという自覚があるので、劣等意識も強いし、

自尊心も低い。そして自分の強さについては知らない。

 

この話ではなんらかの感覚が人並み外れていたり、

非常にマイノリティで一般ではちょっと目立つか外れてしまうような人ほど

柱のような存在になっています。

 

主人公の炭治郎は嗅覚が人並み外れているので

匂いでいろいろなものを見分けることができるし、

善逸は音に敏感で音によって、相手を判断することができます。

 

音に敏感だからこそ、ビビリなのかもしれません。

そして大正なのにカミナリに打たれてから髪の毛が金髪という設定ですが、

アニメでは黄色い髪をしているので

私にはフラワーエッセンスでいうミムルスのように見えてしかたがありません(笑)

 

ミムルスはタイプとしては非常にこわがりで、音にも敏感、だけど激しく流れる水の中で立っていられるくらいに強い存在。

こわがりで弱い人間は弱い人間の気持ちがすごくわかるし、そうした人のために強くなれるのです。(善逸はそのタイプ)

そういうのはとても勇気となります。

 

花といえば鬼は太陽の光に弱いとされていて、それを克服するのに青いヒガンバナが必要とか、鬼よけになるのは藤の花という設定もフラワーエッセンスを知っている人には興味深いでしょう。

藤は昔から日本にはある植物で、名前でも藤原とか藤木など藤がつく苗字もあり、

奈良の春日大社では藤原氏の流れもあり、藤の花を社紋としています。

魔除け的な働きがあるかどうかはよくはわかりません。

紫というのは昔から高貴な色としているので、高い位や僧侶のような人しか身に着けないなど言われています。

それでも日本では紫の花は多いし、着物柄ではわりあい人気なのではないかと思います。

 

少年漫画だけど、柱とよばれる強い鬼と戦う部隊にかわいらしい女の子も何人か含まれているというのも面白く、強さというのは腕力だけの問題ではないことをあらわしています。自分の特技を磨けば、女性であってもそれをいかすことができるし、上にもあがれるのだという象徴にもみえます。

 

アニメでは今度劇場版となる無限列車の話もものすごく漫画で読んで面白かったです。

夢をあやつる鬼という設定ですが、夢そのものが鬼のようにアストラルではあるけれど、夢の中にある本人の意識が非常に反映されていて、心理的にも興味深い。

気づくということは本人の中にある意識がそうさせていくというなかなか高度なことを子供向けの漫画に盛り込まれていて、わくわくしました。

 

アニメと漫画の差をそれほど感じないというところも驚きでしたが、

日本のアニメのレベルが高いことと漫画がある意味アニメ化しやすい感じであったということもあるのかな。

それにしても登場人物のかなり個性的なキャラクターや鬼の姿やタイプなどこんなのを考えられる創造性ってかなりすごいです。

 

主人公が最初に弟子入りする鱗崎さんという方がいるけれど、その人のところを出てからは彼を指導する人はいないです。

しかし、彼が出会う様々なキャラクターたちによって技をみがくためのヒントを経て強くなっていきます。常に炭次郎自らが答えを導き出します。

それは夢の話の回でもそうです。

よく「考えろ」というセリフも出てきますが、自分で考えて答えをだしていくというメッセージは今の子供たちにとっても大事だなと感じます。

 

子供のときにひどい虐待をうけて自分の感情がなくなってしまった女の子カナヲは

自分で何かを決めるということはできません。

それを炭治郎は「カナヲはこころの声が小さいんだな」と解釈します。

 

この漫画の世界そのものはそうした心の闇をもつ子供たちの逃げ場かもしれません。

あたたかく、強く、守られていて、光を感じる世界。

 

そのような意味で読んでいくとそれがとても人気であることに希望を感じるわけです。

 

愛していると言ってくれ/きのう何食べた

テレビドラマのことを。 

コロナの影響で昔のドラマが次々とやってて

「仁」とか「逃げ恥」とか「ハケンの品格」とか

好きなドラマばかりなので、次々見ていて、

その中でも1995年というかなり古いドラマである「愛していると言ってくれ

は四国では放送してくれてないけど、GYAOで後追いで公開してたので

見ることができた。

 

当時大好きだったトヨエツ・・今見たら、たしかに神レベル!!

このドラマからトヨエツと呼ばれるようになったけど

私はかなり前からトヨエツファンで、すでにJUNE読者層では話題になっていた俳優さんだった。

だからなんでかゲイ的な役も多かったけど。

そのもっとも純粋な美しさ炸裂だったのがこのドラマだったかも。

 

はじめ豊川悦司という俳優さんをみたとき、

大好きな漫画のくらもちふさこの漫画から出てきたのか??

というほどの衝撃で

それが20年後にくらもちふさこの漫画を描くエセ作曲家のような風貌になるとは

誰が想像しただろうか・・。

 

それまでのいわゆるイケメン俳優って織田裕二とか江口洋介とか

なんかサル顔的な俳優さんが多く、美しいとは思わなかった。

美しいというのは海外の俳優さんの「ベニスに死す」に出てくる少年のようなのを

いうと思ってたから。

たしかに日本でも美しい顔の昔の役者さんはいたけれど。

どうも若大将とか石原裕次郎とか・・・なぜ人気なんだ?という感じだったけど。

 

ドラマとしては当時はあまり好きではなかった。

常盤貴子演じる主人公に感情移入がまるでできなかったから。

今でもできないけど、傍から見たら20代の恋愛ってこんな感じなのかも。

かといってトヨエツが大人というのではなく、

お互いに成長していくというところがまったく違う二人が関わりあっていくことの

難しさやそれをとおして成長しようとしていく姿はこころをうたれる。

確かに今はこういう関わり方はあまりないかもしれない。

 

恋愛ドラマの難しいところは傷つくという場面。

しかし、傷つかないと恋愛とはいえない。

なのでドラマ的には泥沼になりやすい。

それを見るのに耐えられるかどうかは役者にかかっている。

主人公に感情移入できなかったけど、

トヨエツには感情移入できるし、彼の演技をみているだけで癒される。

しかも、それは20年以上前の姿。

それがまた愛しい感じがある。

1995年の自分はどうだったんだろうと。

 

 

北川さんってこのドラマの前にロンバケかと思ったら逆で

翌年がロンバケだったのね。

非常にのってる頃だった。

「半分、青い」でまたトヨエツが出てくることもあり、

このドラマを20代のときにみていた世代としては感慨深い。

また見ることができてすごくよかった。

 

実は北川ドラマで一番好きなのは「ビューテフルライフ」なんだけど

このときの常盤貴子はすごくよかった。録画して何回もみたのであった。

常盤貴子はトヨエツよりもぽんぽん言い合えるようなタイプの人のほうが見ていて楽しい。「愛している・・」では岡田浩輝のほうが全然お似合い感あったけど。

 

それとは別に見逃していたドラマ「きのう何食べた」をDVDで一気見もした。

これは原作の漫画があり、それも読んでいるけど

ドラマをあらためてみるとこのドラマもすごくいい味だしているのは

二人の役者さんの力。

音楽もいいし。

単なる料理のドラマのようにみえるけど、これは家族の話だなと

つくづく思う。

ゲイのカップルでもそれは家族。

普段、何も接点がないけど、こうやってドラマでみていくと

ゲイのカップルとそれを取り巻くいろんな人たち、つまり日常は

劇的な変化はなくても、誰もがあるような日々の変化はあり、

それを丹念にホームドラマ化されている。

非常に安定感のあるドラマだった。

映画・ジェイン・オースティンの読書会

  

ジェイン・オースティンの読書会 コレクターズ・エディション [DVD]

 

「読書会入門」という本を読んでその本の中で

ジェイン・オースティンの読書会について書かれてあり、

まだ見てなかったなーと思って見ました。

 

読書会入門 人が本で交わる場所 (幻冬舎新書)

読書会入門 人が本で交わる場所 (幻冬舎新書)

 

 

女優さんたちがけっこう魅力的でした。

 

オースティンの本6冊を毎月一冊ずつ取り上げてとあるメンバーで読書会をするという映画ですけど、どのように読書会をしているのかを見れてよかったです。

 

まず

・本の担当を決める

・担当者の自宅で軽食を食べながらおこなう。(軽食は担当者が用意する)
・毎月1回おこなう。それまでに各自本を読んでくる。

・当日集まり、ディスカッション。

 

流れはこんな感じ。

映画はその6か月の間の読書会メンバーの様々な変化を描いた感じ。

 

マリア・ベロってどっかで見たことあるよねーーと思ったら

ドラマ「ER緊急救命室」に出ていた方でした。

魅力的な人。

独身主義のブリーダー役でした。

 

読書会をやりたくなりました。

 

私がやりたいのは梨木香歩さんの読書会(^^;)

占星術関連の本とか心理学関連の本もよいけど、、難しいかも。

ファシリテートが。

 

本屋さんなどで読書会をおこなっているところがたくさんありますよね。

 

学生のときに授業の中の部活がずっと読書クラブだったけど

いつもただ各自で本を読むだけだったなあ。

そういう積極性ゼロである意味当時はよかったけど

本についてディスカッションするということはなかったです。

 

オースティンは全然読んだことないけど

好きな人は欧米には多いのかなー。