Around the garden

フラワーエッセンスプラクティショナーによる植物や自然と過ごす日常とエッセイ

「鬼滅の刃」を象徴的にみてみる。

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鬼滅の刃」・・ふだんジャンプの少年漫画ってほとんど読むことないけど、

アニメ版をみてコミックを20巻まで読みました。

人気なのがわかるぐらいめちゃめちゃ面白いです。

 

ときは日本の大正時代。

鬼がいる世界で生きる人々。

多くの人は鬼によって孤児になり、鬼と戦うための鬼滅隊に入る若者もいる。

それでもよくある悪と戦う正義の話のようでもあり、

主人公が戦いや旅をとおして成長していく話でもあるとは思います。

 

ところが西洋との違いかもしれないけど

鬼は必ずしも悪ではないという見方もさせてくれる。

まず主人公の妹は鬼になってしまったけど、人を食うことはしない。

他にもよい鬼が登場するし、悪い鬼でももともと人間であったことを思い出す鬼もいる。

そんなところに複雑な鬼と人間との関係を見ることができます。

 

ダースベーダになってしまった少年がもとは普通の少年だったように

その人が悪となったのはその人の中の闇がかかわります。

 

主人公の妹であるねずこちゃんには主人公の中と同じように光の小人がきっといるのでしょう。

 

登場人物のほとんどが孤児、鬼に家族を殺されたかもともと捨て子であるというのも

興味深くもあるけれど、それを守護していく人もいる。(お館さまみたいに)

そのもっとも上にいるのが柱という存在。

鍛え抜かれた実力者たち。

それはライトワーカーとしてのもっとも強い存在。

 

この物語でおそらく読み手の子供たちが一番共感できるのは

善逸ではないかと思います。

 

それは現代の子供が大正時代のこの時代に入り込んだよう。

ものすごくビビリで弱く、客観的な見方をする。

「これ誰が考えたんだよ。死んでくれないかな」

「やばい奴だ!」

とか口調的には大正時代にはいないでしょう(笑)

 

しかし、彼はものすごく弱い存在でありながら、

表層意識が眠るととてつもなく強いのです。

 

自分は弱いという自覚があるので、劣等意識も強いし、

自尊心も低い。そして自分の強さについては知らない。

 

この話ではなんらかの感覚が人並み外れていたり、

非常にマイノリティで一般ではちょっと目立つか外れてしまうような人ほど

柱のような存在になっています。

 

主人公の炭治郎は嗅覚が人並み外れているので

匂いでいろいろなものを見分けることができるし、

善逸は音に敏感で音によって、相手を判断することができます。

 

音に敏感だからこそ、ビビリなのかもしれません。

そして大正なのにカミナリに打たれてから髪の毛が金髪という設定ですが、

アニメでは黄色い髪をしているので

私にはフラワーエッセンスでいうミムルスのように見えてしかたがありません(笑)

 

ミムルスはタイプとしては非常にこわがりで、音にも敏感、だけど激しく流れる水の中で立っていられるくらいに強い存在。

こわがりで弱い人間は弱い人間の気持ちがすごくわかるし、そうした人のために強くなれるのです。(善逸はそのタイプ)

そういうのはとても勇気となります。

 

花といえば鬼は太陽の光に弱いとされていて、それを克服するのに青いヒガンバナが必要とか、鬼よけになるのは藤の花という設定もフラワーエッセンスを知っている人には興味深いでしょう。

藤は昔から日本にはある植物で、名前でも藤原とか藤木など藤がつく苗字もあり、

奈良の春日大社では藤原氏の流れもあり、藤の花を社紋としています。

魔除け的な働きがあるかどうかはよくはわかりません。

紫というのは昔から高貴な色としているので、高い位や僧侶のような人しか身に着けないなど言われています。

それでも日本では紫の花は多いし、着物柄ではわりあい人気なのではないかと思います。

 

少年漫画だけど、柱とよばれる強い鬼と戦う部隊にかわいらしい女の子も何人か含まれているというのも面白く、強さというのは腕力だけの問題ではないことをあらわしています。自分の特技を磨けば、女性であってもそれをいかすことができるし、上にもあがれるのだという象徴にもみえます。

 

アニメでは今度劇場版となる無限列車の話もものすごく漫画で読んで面白かったです。

夢をあやつる鬼という設定ですが、夢そのものが鬼のようにアストラルではあるけれど、夢の中にある本人の意識が非常に反映されていて、心理的にも興味深い。

気づくということは本人の中にある意識がそうさせていくというなかなか高度なことを子供向けの漫画に盛り込まれていて、わくわくしました。

 

アニメと漫画の差をそれほど感じないというところも驚きでしたが、

日本のアニメのレベルが高いことと漫画がある意味アニメ化しやすい感じであったということもあるのかな。

それにしても登場人物のかなり個性的なキャラクターや鬼の姿やタイプなどこんなのを考えられる創造性ってかなりすごいです。

 

主人公が最初に弟子入りする鱗崎さんという方がいるけれど、その人のところを出てからは彼を指導する人はいないです。

しかし、彼が出会う様々なキャラクターたちによって技をみがくためのヒントを経て強くなっていきます。常に炭次郎自らが答えを導き出します。

それは夢の話の回でもそうです。

よく「考えろ」というセリフも出てきますが、自分で考えて答えをだしていくというメッセージは今の子供たちにとっても大事だなと感じます。

 

子供のときにひどい虐待をうけて自分の感情がなくなってしまった女の子カナヲは

自分で何かを決めるということはできません。

それを炭治郎は「カナヲはこころの声が小さいんだな」と解釈します。

 

この漫画の世界そのものはそうした心の闇をもつ子供たちの逃げ場かもしれません。

あたたかく、強く、守られていて、光を感じる世界。

 

そのような意味で読んでいくとそれがとても人気であることに希望を感じるわけです。